今、すべてをあきらめてしまいそうなあなたに



もし人生に魔法があって

今のこの状況を不思議な呪文を唱えるだけで

あっという間に、そして思い通りに

好転させることができたら、どんなにいいだろう。

 文字通り、魔法でもない限り

もはやどうしようもないという状況の前にあなたはいる





力尽き、よじ登ることも、突き破ることもできない

はるかな壁を呆然と見上げている。

今のあなたの目の前に立ちふさがっているかのように見える状況

それは仕事のことかも知れない。

人間関係のことかも知れない。

金銭の、あるいは恋愛の、結婚生活や家族のこと

病気や進学のことかも知れない。





これまで、あなたは

あなたの中で考え得る限りの最善を尽くしてきた。

友人や専門家に助言を求め、カウンセリングを受け

状況を打開するための話し合いを持ち

自己改善のためにさらに多額の金を使い

ポジティブ思考を心がけ

玄米と野菜だけを食べ

縁起のよい字画に改名し

玄関には金魚鉢も置いてみた。

だが、なにひとつ変わらない。
 




そして、あなたは今、すべてをあきらめようとしている。







 「オーケー、ゲームオーバーだ。私の負けを認めよう」

 「俺は、駄目な奴さ。他の連中より生まれつき能力が劣るんだ」
 
「あの人がいないのなら、僕の人生に意味などない」
 
「これが私の運命。どうあがいても運命には逆らえない」
 
「これだけの借金を背負ってしまったら、もう立ち直りようはない」

 深刻さのスケールの大小は関係ない。

すべての悩みは本人にとって

深刻なものなのだから。

そして、あきらめるという行為にも

スケールの大小は関係ない。





今、ここであきらめようとしている、あなたは

必ずまたいつか

別のなにかをあきらめることになるだろう。






そして連鎖のように果てしなく

あなたの人生に挫折という名の墓標が刻まれていく。
 
私がここでいおうとしているのは

すでに多くの賢人たちによって言い尽くされてきた

とてもシンプルなメッセージだ。




 あきらめるな。


 



私はなにも

あなたの愛を受け入れてくれない彼女をどこまでも追いかけろだの

あきらかにあなたを幸福にしてくれない人間関係を継続させていけだの

毎日が嫌で嫌でたまらない仕事を続けろ、あるいは

さらに金をどこからか工面して

いちかばちかの勝負をしろだのといっているわけではない。
 
あきらかにあなたの人生が行き詰まり

どこかしらうまく機能していないのなら

それは冷静に受け入れるべきだ。

問題などまったくないようなフリをしても意味はない。

もつれた糸を力ずくや行き当たりばったりで

がむしゃらにほどこうとしても、

余計にもつれさせるだけだろう。
 
まず今、あなたが置かれている状況を受け入れよう。






イエス、というのだ。





そして状況がどんなに心地よいものでなくても

他の誰かや運命のせいにするのはやめよう。

あなたは好きこのんで病気になったのではないだろうし

信頼していた人間に裏切られたのかも知れない。

それでも今、あなたを悩ませている状況の責任は

あなた自身にあるのだと考えよう。
 
あなたが考えたこと、口にしたこと

行動してきたことの結果が今、目の前にあるのだ。

誰のせいでもなければ

運命のせいでもない。

星の巡りあわせが悪いわけでもなければ

名前の字画のせいでも

ましてやあなたが過去に犯した罪への天罰などではない。
 




他の誰かの、あるいはなにかのせいにするのをやめたとき

はじめて、あなたの中に現在の状況を変える力が生まれる。






今この状況を作り出したのがあなたなら、当然

状況を変える力があなたにはあるはずだから。

 あなたが状況に対して

状況への責任に対して

ノーと言い続ける限り

あなたは無力な被害者という立場から抜け出すことができない。
 




受け入れるのだ。

受け入れることと、あきらめることは違う。

 




私たちの心には

私たちのことを思う悪意ない多くの人たちによって

様々なまじないがかけられている。

私たちの心にまじないをかけた人々も

また彼らの親や教師たちによってまじないをかけられ

彼らの親や教師たちも同じように

その親や教師たちによってまじないをかけらえたのだ。

 そのまじないとは、恐ろしく単純なものだ。

恐ろしく単純すぎて、まだ幼く精神的な抵抗力のない子供たちは

自分の名前を憶えるように簡単に受け入れてしまう。

そして、このたちの悪いまじないはその子の一生を通じて機能し、

さらに次の世代の子供たちの心の中へと繁殖していく。
 




この世の中には失敗や敗北が存在する。

これが、まじないの正体だ。






どうだろう? 

まじないではなく

当たり前のことではないかと、あなたは思っただろうか。

 赤ん坊だった私たちはハイハイをし

立ち上がるようになると両親や家族からほめられた。

さらに片言の言葉を口にするようになると

(別に努力をしたわけでもなんでもない、恐らく興味津々で大人のマネをしただけだろうが)

拍手喝采、ご褒美に電話のおもちゃを買ってくれたかも知れない。
 
そして保育園、あるいは幼稚園。

集団生活の中に入っていくと

大人たちの対応が少しずつ変わってくる。

それまで彼らは、あなたがなにをできるようになったかに注目していた。

とこらが突然、他の子供にできて、あなたにできないことはなにか

またはその逆のことについて気にしはじめる。

両親は他の子にできて、あなたにできないようなことがあれば

能力的に劣っているのではないかと心配し、

あなたにできて他の子にできないことがあれば諸手をあげて賞賛してくれる。

幼いあなたはそんな両親や大人たちの意識を微妙に感じ取る。
 
幼く無邪気なあなたたちは自己を主張しあい、あげくにケンカになる。

そこへ大人たちがやってくる。彼らはこう尋ねる。

「おや、おや、悪いのはどっちだい?」
 





夕食のテーブルであなたは母親がいつもしてくれるように

自分自身でコップにオレンジジュースをつごうとする。

ところがコップはどういうわけかバランスを崩し

テーブル一面にオレンジジュースが広がっていく。

父親は言ったかも知れない。

「お前にはまだできないんだから。お母さんにしてもらいなさい!」
 
まだ無垢で純真なあなたの心になんの検閲もなしに両親や大人たち

テレビドラマの会話や歌のワンフレーズがプリントされていく。

人間には優劣があり平等など幻想だ

愛を受け入れられなければ惨めなものだ、

多額の負債を背負うような奴は人間失格だ

何度も離婚を重ねるような人間はどこか性格に問題がある

学歴のある人間が勝利する、転職ばかりしている奴は根性なしだ。
 




そして、あなたはひとりぼっちで戦い続けてきた。

人生の勝利者になるために。






あるときは勝ったと得意げになり

あるときは敗北を感じて惨めな気分になり

また今、今回の戦いにおける

自分自身のスコアを判定しようとしている。

 かつて大人たちに限界や失敗、敗北という

まじないをまだかけられていなかった頃の

幼く純真だったあなたは、

あなたの心の奥深く今もそのまま存在している。

そして、まじないから解き放ってほしいと

あなたにメッセージを送り続けている。

 その子がこれまでの人生で感じてきた

痛みをあなたならわかるはずだ。

抱きしめてあげてほしい。

昔、大人たちによってかけられたまじないを

大人になったあなたがその子の心から解いてやるのだ。

それができるのはあなただけなのだから。
 




人生のすべての状況はプロセスに過ぎない。

 失敗も敗北も、存在しない。

 




あなたは自転車に乗れるだろうか? 

はじめて自転車に乗るとき

こんな不安定な乗り物をうまくバランスを取りながら

運転することなど自分にできるだろうか、と思わなかっただろうか。

補助輪をつける。

やがて、あなたは補助輪を外して乗ることにチャレンジする。

何度、バランスを失って転んだだろうか? 

怪我をしたこともあったかも知れない。

そして、ある日、突然、それはやって来る。

あなたは自転車の上で、見事にバランスを取っている。

それまでバラバラに機能していたものが、一体になる。

風を切りながら、あなたはペダルを颯爽とこぎ続ける。





 バランスを失って、横転していた日々。

あれは失敗だったのだろうか?

敗北だったのだろうか?

 あなたは転びながら

バランスの取り方を学んだのではないか?

 もし、それらの日々を重ねて、

あなたが今、自転車を乗りこなすことができないとしたら、

あなたは自転車に乗ることに失敗したのではなく、

自転車に乗れるようになることをあきらめたのだ。
 
あなたは泳げるだろうか?
 
泳げるようになるまでに、何度水を飲み

苦しい思いをしただろうか?

無我夢中で水の中でただ手足をバタつかせていた日々は

惨めな失敗の連続だったろうか?

今、あなたが泳げないのなら

あなたは泳げるようになることに失敗したのではなく、

泳げるようになることをあきらめたのだ。

 もう一度、繰り返させてほしい。
 




人生のすべての状況はプロセスに過ぎない。

 だから、あきらめるな。

 




あなたの前には壁が立ちふさがっているように思えるかも知れない。

だが、それは行き止まりではなく、曲がり角なのだ。

よじ登る必要もないし、無理に突き破る必要もない。

ましてや、ここで終わりだなどと考える必要はまったくない。
 
視点を変えてみよう。

目の前を河が流れているなら、橋のあるところまで移動すればいい。

橋がなければ、船を探そう。

船もなければ、橋や船をつくるための道具を探せばいい。

橋や船をつくる技術がないならば

まず、それを学ぶことからはじめたらどうだろう?

 あなたがあきらめることなく、可能性を探すならば、

必ず、あなたを助けてくれる人が現れるはずだ。




 
あなたは素晴らしい恋人が欲しいのだろうか? 

では、まず、あなたが素晴らしい恋人になれるように自分を高めよう。

感受性を豊かにし、人を思いやり、微笑みを忘れることなく、

いつでも一緒にいる人と幸せを分かちあうようにしよう。

そうれば多くの人があなたのまわりに集まってくる。

そして、やがてあなたを本当に心から愛してくれる

素敵な人もあなたのところにやってくるだろう。
 
あなたは生きがいのある仕事を見つけたいだろうか?

では、あなたがなにをしたいのか

他の人々のためになにを提供できるのかを考えよう。

そして、たとえ今は報酬をもらえなくても

そのあなたのなにかを人々にできる限り提供しよう。

本当にしたいことをしているあなたの喜びと

人々のあなたへの感謝が、

もっともっと素晴らしい仕事をする機会を

あなたにもたらしてくれるだろう。




 
あなたは健康になりたいだろうか?

では、まず、心から健康になろう。

あなた自身を含めて

これまで許せなかった人々を許そう。

ちょっとしことで腹を立てるのをやめて

笑うことを心がけよう。

他の誰かの健康のために祈ってあげよう。

もし、できるなら花や植物を育てよう。

花や植物に愛を注ぐことを

あなたの毎日の仕事にするのだ。

病を癒すには、なによりも

あなたの心が癒されなければならないことを

どうか忘れないでほしい。




 
そんな精神主義で

果たして本当にうまくいくだろうかと

感じる人もいるだろう。

 あなたはこれからも

あなたが信じる道を歩いていいのだ。

あなたがなにを信じようと

それは自由なのだから。

だが、これまであなたが信じてきたものが

今、あなたがいる場所にあなたを連れてきたのだ。

あなたがもしその場所を気に入っていないのなら、

これまでとは違うやり方を試してみた方がいい。

 がんばる必要はない。

死にものぐるいになる必要もない。






 日々の中で、ただベストを尽くそう。






今日一日を生き、先延ばしにすることなく

今できることだけをやるのだ。

過ぎ去った過去のことを思いわずらうのも

まだ見ぬ先のことを心配するのもやめよう。

 そして今日なにかをうまくやれなかったからといって

自分を責めるのはやめよう。
 
人生はプロセスであることをどんなときも忘れないで欲しい。





 かつて、私たちはたくさんの夢を見た。
 
学校の先生、スチュワーデス、宇宙飛行士

俳優、カーレーサー

ミュージシャン、漫画家

プロ野球やサッカーの選手。

 そして、私たちは、たくさんの夢をあきらめてきた。

あきらめたとき、たいして挫折感をともなわない夢もあれば、

それこそまったく自分の価値を見失ってしまうほど

強い敗北感を感じる夢もあっただろう。
 
向き、不向きというものはあるし

身体能力の差というものもある。

才能というものもあるだろう。




 
あなたが追いかける

すべての夢を叶えることはできないかも知れない。
 
マイケル・ジャクソンが音楽アイドルに飽きたらず

プロバスケットの選手を目指していたら

数々の名曲はけっして生まれなかっただろう。

逆に、マイケル・ジョーダンがプロのダンサーを志していたら

果たしてどうなっていただろう?





 彼らは特別な人たちで

あなたと比べるのは無理があると感じているだろうか?

そんなことはない。

あなたも、この世でたった一人の特別なあなたなのだ。

だから、あなたが見る夢や希望も

この世の中で特別な意味を持つものなのだ。
 
こんな風に考えてみたらどうだろう? 

あなたが夢や希望を見たのではなく、

あなたが見た夢や希望が数多くの人の中から

あなたを見つけだしたのだと。
 
これからもあなたの夢や希望は、

あなたの期待通りの未来を

もたらしてはくれないかも知れない。

でも、あきらめることなく

夢や希望の導くままに人生を生きて欲しい。

あなたの期待通りのものではないかも知れないが

あなたが期待した以上のものが必ずもたらされるはずだから。






 だから、あきらめるな。
 




あなたは大海原をひとめ見たいと旅をはじめる。

あなたの心の中はかつて旅人から聞いた

青い海と白い波のイメージで一杯だ。

強い日差しの日も、雨の日も、風の日も

あなたは歩き続ける。

あなたは疲れを知らない。

なぜなら、大海原を見るという夢が

あなたの心を満たしているから。

旅人が教えてくれた方向だけをひたすら目指し

あなたは歩き続ける。

 そして何ヶ月かが過ぎる。

やがて、あなたは立ち止まる。

目の前には、大海原ではなく

はるか空高く山々がそびえ立っている。

あなたは思う

旅人にだまされたのだと。

なんと自分は愚か者だろうかと、自分を呪う。



そして、あなたは

これまで歩いてきた長い道のりを

町へと戻るために歩きはじめる。

二度と他人のいうことなど信じるものか

夢など見るものかと心に誓いながら。




 あなたは知らないのだ。

山を越えた向こう側に

夢に見たあの大海原が広がっていることを。
 
これは寓話ではない。

私たちがこれまでに何度も何度も繰り返してきたことだ。
 
私たちは人生でなにがオーケーで

なにがオーケーでないか、

自分自身でつくった価値基準をそれぞれが持っている。

その価値基準が

これはオーケーではないと告げる状況や人が現れると

たちまちノーと首を振り

その場から去ろうとする。





 
今のあなたの目の前の状況。

その状況に不運や最悪などと

レッテルを貼るのをやめよう。






あなたの期待通りの結果ではなかったかも知れないが

受け入れるのだ。
 
何度も繰り返すが受け入れたとき

その状況を変える力が生まれる。
 
あなたは失敗したわけでも敗北したわけでもない。
 
海を目指して歩く途上で、山に出くわしただけだ。

 あの山の向こう、その山を越えた平原の向こう

さらに谷の彼方に海は広がっているかも知れない。
 





この場所は、プロセスに過ぎない。
 
だから、あきらめるな。

 




それこそが、あなたが探していた

人生の魔法なのだから。










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